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『発現』阿部智里

最終更新: 2月5日

しょぼい読書感想文です

内容のネタバレに配慮しませんので未読の方は読んでください

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さすが阿部智里。一筋縄ではいかない上に賛否の分かれそうな話を、またしても描き上げてくれた。

ホラーともミステリーとも決めがたく、それでいて充足感のある読後感だった。


読者が作中に最も強く引き込まれる瞬間といえば、起承転結のうち前三つがオーソドックスではないだろうか。派手な出来事が、魅力的なキャラクターが、読者を物語に没入させる。

しかし本作では、登場人物はあえてキャラクター性を抑えるという試みがあったという。代わりに平成パートを支えるホラーの要素としておどろおどろしい幻覚が容赦なく描かれる。大樹の、そしてさつきにも視えるようになってしまった幻覚、えげつな……

わたしはホラー映画等がそんなに得意ではないので、人がいっぱいいる明るい場所で読もうと喫茶店に行っていてよかった。夜に読みたくない。文字は時に、映像よりも鮮明に映ることがある。


兄弟揃って、また母も同じものが視えていたという気味の悪さは、祟りや呪いの類なのか(こういうオカルト要素は超好き)と、ますます「この世ではないもの」に由来を求めていく。しかしそうではなく科学的に、まさに今物語を読むわたしにも”発現”し得ることだと判明した「結」の瞬間が一番に寒気を感じた。

平成と昭和、二つの時代で起こる出来事を読み進めるうちにどんどん高まる緊張感が、

登場する人物の全て繋がった瞬間にああ……そうなってしまったのか…という、絶望を伴う脱力へと変わる。もちろんめちゃくちゃいい意味だ。わたしは阿部智里の描く絶望が大好き。


この物語の最後はきっと、さつきのように「何も解決していないじゃないか」という感想を持つ人もいるのだろう。

自分たちを苦しめる原因が、推測に過ぎずとも分かった。

大樹は家族の元へ帰ることができた。

あやねを抱きしめることができた。

母の死に折り合いをつけることができた。

でもこれからは?

あやねが清孝に殺された女の子と同じくらいの年齢背丈でいる間、大樹はまた愛娘に幻覚を見るかもしれないし、それはさつきにも同じ事が言えるし、あやねではない別の女の子が幻覚発現のトリガーになることだってあるかもしれない。

原因となった統合失調症の遺伝によって、さつきは人生の選択の一つを諦めてしまったし、トリガーとなってしまったあやね自身もまた幻覚に怯える日が来るかもしれない。

しかし現実においてことごとくハッピーエンド、100%すっきり解決!で終わることなどどれだけあるだろうか。

この物語が、綿密で重厚な取材の上に成り立つフィクションだからこそ明確な解決策は無いし、「読者であるわたしにもいつか有り得るかもしれない」ものとして彼岸花が視界の端にちらつくのだ。

そして作者の分かりやすく読みやすい文章は、決してテーマへの扱いが簡単だからでは無い。それが読み取れないならば己の読解力の無さを悲しむといい。

PTSD、そうでなくともトラウマの大小、過去にやってしまった後悔のひとつふたつ誰しも持つだろう。それらが否応なく思い起こさせられた。


この物語を読み終えたわたしは、読む前のわたしではいられなくなってしまった。

いつか、わたしは、清孝になってしまうのだろうか?


発売前の著者インタビューには「加害者の中の被害者意識」をテーマの一つに据えたとある。

清孝の犯した殺人は生き残るための”正義”だった。だから仕方なかった。

正義とは何か。仲間を生かすためという正しい意義を持つこと?

では”正しさ”とは何なのか。誠実であること?それは 誰ーー何 に対して?

もしかしたら、匿ってくれた家族は追ってきた兵に対して上手くやりすごしたかもしれないのに。

もしかしたら、兵はそもそも追ってこなかったかもしれないのに。

もしかしたら、あの女の子は……

しかし詮無きことだ。もうどうにもならない。

中村の、そして清孝の行為は手放しで肯定できるものではないが、しかしあの時代にあの状況で、声を張り上げて清孝を責めることもできない。省吾がお前ならばどうしたかと鈴木に問われる場面、しばらくの間わたしも考えざるを得ない。

清孝は中村や鈴木、班の仲間、そして自分に対して誠実であるしかできなかった。

もしも、は、無いのだ。

結果的に中村に罪をなすりつけた形になってしまいはしたが、中村にも葛藤があり、迷いがあり、それに“誠実に”向き合ったのはただ、清孝だった。


極限の体験を経た者がその後、安寧の中で生きていく中で心を守るために硬い膜を張ることは、創作者としてはもはや既知である。そうでなければ狂ってしまう。しかし最後の種明かしに至るまで、清孝にそれを見出すことがすっかりできなかった。見かけは完璧な、完全無欠の膜だったからだろうか。

命を失う死と心の死、どちらが辛いだろうと思いを巡らせるが、それは生きた人間にしかできない不遜な思いだ。


創作者と言えば鈴木の絵が印象的だ。

清孝は蓋をした。

鈴木は蓋を自ら静かに壊した。

漫画を描く身として、登場人物の中で最も感情を寄せたのが彼だ。長い年月を経たといえど、絵に過去を写しとるのは並大抵のことでは無いと思う。

しゃべってしまえばそれで終わる。しかし絵は遺るし、また自身が直視し向き合わねばならない。鈴木は絵という発露によって自分に誠実であろうとしている。


本作からは離れるが、「八咫烏シリーズ」にも同様のテーマが強く見られると考えていたのでうきうきしてしまった。

具体的には『弥栄の烏』における”彼のための焚書”、またオオキミのくだりだが、この件は語ると長くなるので別のときにまとめたい。


一方でさつきの父が持つ「遺族の中の加害者意識」にはわたし自身覚えがある。これもまた過去にも、今も未来でも、誰しもに有り得ることであり、過ぎてしまってはどうにもならない、詮無きことなのだ。

さつきの父はそれによって生きている。

学びを得ることで、心を支えることが往往にしてある。意識を調伏して乗り越えられなくとも、共に生きていくことはできる、かもしれない。

さつきもそうして生きていくだろう。

わたしは?どうだろう。


本を閉じて装丁にも見惚れる。

全面に施される美しい赤だ。しかし見る角度を変えると血のような暗い色にも見える。

にゅるりとしたフォントのタイトルロゴからは、幻覚の彼岸花がいづる瞬間を思い起こさせる。平置きして並べると彼岸花が全て繋がるという装丁家さんのこだわりが、作中であらゆるものが繋がった瞬間を強く感じさせうっとりと眺めてしまう。



美しく幻想的で、懐疑的で傲慢で、重くのしかかる静かな物語だった。(敬称略)


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